グッバイ、マイブルーローズ

こいつがすぐ口に出す「ずっと」や「必ず」という文字の並びが嫌いだ。昔から、そして今も。
自分の臆病さを認められるようになった今なら、その根源が恐れであることもわかる。 俺は裏切られるのが怖い。
好きなものの為に傷つくのは構わない。 サッカーであれなんであれ。 例え好きなものそのものが、俺を傷つけるんだとしても。
けれど、裏切られるのは怖い。 好きだと思ったものが醜く歪むのは、怖い。
きっと自分の心を守りたいだけの、そういう恐怖心なのだろうということも、わかる。 嫌になるくらい、わかる。



「母さん、本心ではやっぱり会いたいみたい」
妹の言葉に、兄は俯いた。そりゃあそうだろう、もう十年近く、まともに顔をあわせていないんだ。母も息子も相手が恋しくないなんて言ったら、それは嘘だ。
「でも父さんもお母さんも、お兄ちゃんを許す事はできないんだって」
「だろうな」
「キャパシティを超えてるのね、きっと。雁字搦めの家だもの」
妹は俯いて、笑った。その顔がとても複雑だったので、俺は気取られない程度の不自然さで彼女から目をそらした。 向かいの親子連れが席を立つ。この兄妹の家だって、あの程度には和気藹々としていた頃だってあっただろうに。
私はずっと、お兄ちゃんの味方だからね。妹はそう言って去った。彼女は決して複数形を使わない。自分にも、相手にも。 彼女自身、許しきれていないのだろう。それは仕方の無い事だ。
彼女にとってみても、元凶はやっぱり俺なのだ。


「難しいな、家族というのは」
「でも、偉いよお前」
「警戒しているだけさ。無関心でないだけ、幸せなのかもしれないけど」
愛の対義語だもんな、と言うのはやめておいた。きっと悲しそうな顔をさせる。我が家はまさに無関心だ。
「お前に何かされたらどうしよう、なんてな。そんなこと思いだしたらキリが無いのはわかってるよ」

お代わりいかがですか?と表情無く言う通りがかりのウェイトレスに、二人分のコーヒーを注いでもらう。
一口飲んで遠い目をした横顔は、きっと出会った頃にはしなかった顔だ。 俺は最初から持っていたものが少なかったから、こいつの感情を汲んでやることは出来ない。 俺たちが二人で居るには、大変なのだ色々。
それでも選んでもらえた俺は単純に幸せ者だといえるけれど、だったらこいつの場合は?とも思う。 こいつが今まで捨てた物の数がどれほどか、俺には想像もつかない。
俺がコーヒーを飲み干したのを見計らって、あいつは席を立った。 カップの中身は、半分ほど残っている。

「いつか見てみてぇな」
「ん?」
「お前の生まれ育った家」
俺のはマンションだったから。そう言うとあいつは曖昧に笑った。俺の家はもう無い。





「ずっと」や「必ず」というとても怖い文字の羅列。
望む気持ちがあったとしても、求める気持ちがあったとしても、未来が未知である限り恐ろしくなくなる事は無い。
それでも俺は悲しい事に大人になった。狡さを覚え、卑しさを許し、浅ましさを認めた。自分に甘くなり、すなわち世界に甘くなった。俺は大人になった。
「ずっと」や「必ず」という常に裏切りの側面を孕んだ言葉は、同時に糧になりうる。
いつか必ず訪れる結末の後、自分を生かすための。 或いは万が一こいつをおいていくような事があったとき、悲しいほどの恐ろしさを和らげるための。





「いつか一緒に見れたらいいな」
この柔らかい声が、俺を生かす。 こいつにとっても、そうであったらいい。
「連れてってくれるんだろ?」
「そうだな」

「約束だぜ」

悪戯っぽく見上げると、渋沢は困ったように笑った。







結構前の拍手お礼

ちょっと大人になって同棲してる二人