朦朧
ひじかたさん
拙い発音の聞き慣れた声に薄目を開けると、きょとりとした幼い顔がすぐ目の前にあった。
その色素の薄い髪は大層柔らかいんだろうなと思うが、緩慢な腕は簡単に動いてくれそうになかった。
兎角体がだるい。
俺を構成する繊維の束の内の一本だけがずるりと抜き取られたかのような、
或いは関節の所の骨と骨との継ぎ目にある何かの中心から大切な液体が抜き取られたかのような。
兎角うまく力が入らない。
だいじょうぶですかいひじかたさん
おきれそうですか
投げかけるだけでこちらの返事を特に必要としていないような喋り方だった。
ただ言葉を発するだけ。俺は目の前の少年が何を言っているのかがわからなかった。
その言葉の意味も意図も飲み込めているはずなのに。
味はわかるのに租借した後飲み込めないような奇妙さ。
ひじかたさんなにかたべないといけやせんぜ
底の深い空っぽの器のような目。
けれど俺はもっと空虚な目をしているのだろう。
凝視していた目はだんだんと俺に近づいてきた。
目に映る影がだんだんと大きくなる。
ひじかたさん・・・だいじょうぶですかぃ
その影が自分であると理解した瞬間のその一瞬だけ、頭がすっきりと晴れた。
気がした。
彼の髪の毛や睫の一本一本までがくっきりと見えた。
気がした。
けれどそれは所詮一瞬で、その感覚が本当かどうかもわからないままに俺の頭は中心から熱を発しがんがんと揺れ、それどころではなくなった。
そろりと目を閉じる。まぶたに温度があるのを、とても新鮮な気持ちで実感する。
ひじかたさん
やわらかいつたない発音。
ちょうどさっき夢に見ていた頃の、彼の喋り方そっくりだ。
ひじかたさん
ぺたぺたと頬を触られる感触。
顔に張り付いた髪の毛を後ろや横に撫で付ける感触。
生え際を撫でる爪の感触。
ねぇひじかたさん
もしかしてこいつは不安なんじゃないだろうかと思った。
なぜこいつが不安がるのかは解からない。
なぜこいつが不安がっていると思ったのかもわからない。
けれどこれはきっと当たりだと、夜がまた来ることと同じくらいの確かさで思った。
うっすらと目を開ける。相変わらず表情の見えない目の色。
「心配すんな」
予想外のすれた声に自分自身で驚いたが、もっと驚いたのは沖田の表情だった。
その変化は微々たるもので、もしかしたら熱に霞む目や俺の願望がそう見せてるんじゃないかと思うくらい、僅かな顔の緩みだったのだけれど。
はい
彼は柔らかく表情を崩した。
幼い子供が安堵したようなその顔に、なんだかとても彼に触れなければいけない気がした。
然し相変わらず緩慢な腕は持ち上がらない。
白い頬にも蜂蜜色の髪にも触れられない。
俺はぼんやりしたまま、天井につるされた光を遮りながら笑う顔を見ていた。