「なぁ、セックスしてみねぇ?」

どうして良いかわからなくて、とりあえず押し倒した。
だってとにかく欲しかった。


最初の衝動は、14の梅雨。
誰かを訪ねた帰りに突然雨が降り出して、雷まで鳴りはじめたもんだから近くにあったヅラの家に駆け込んだ。 明るく利発な桂家の母はテキパキと俺に着替えを与えて風呂を貸してくれた。
この時期に傘を持ち歩かないとはどうのこうのと、ヅラは風呂場の外から延々小言を言い、 俺が風呂から上がった後もそれは続いた。 いい加減うんざりして、一発殴れば殴り合いになって小言は止むんじゃなかろうかとかと物騒な事も考えたが、おばさんに悪いのでやめた。
風呂から上がった俺を見て、ヅラはきゅっと顔をしかめ、俺の手からタオルをひったくった。
「髪くらい乾かしてあがって来い。何のために風呂に入ったんだ貴様は」
ふんわりと、俺の頭にタオルとヅラの手が降ってくる。 刺々しい言葉と裏腹なとても優しい手つきで。
「全く世話の焼ける」
ヅラの小言はずっと続いていたが、俺の耳に言葉として届きやしなかった。 髪やタオルが擦れて掻き回される音と、柔らかい感触が世界の全てに思えた。
「乾いたか?」
素手で髪をかき回されて、乱れた髪を撫で付けられる。
離れていく手が名残惜しかった。
「どうした?」
俺の心はぐらぐら不安定で、だから俺はいつも心許ない。 この家に来るとそれは少し和らいで、だから俺はこの家が好きだ。 こいつに頭を触られるともっと俺の心は安定して、ああ、この手が好きなんだと、そう思った。


だから押し倒してみました、マル。

だってそれ以外どうすりゃ良いのかこれっぽっちも思いつかなかった。
こいつは俺の言動が大嫌いだし、俺もこいつとはそりが合わないと常々思っている。 だけどこの手を手に入れるにはこいつごと手に入れるしかなくって、 そしたらもう体を奪うしかない。 物質としての手じゃなくて、 動いて体温があって俺の頭を柔らかく撫でるこの手が欲しいんだ。

「待て! お前一体、なんのつもりだ!!」
我に返ったヅラがぎゃあぎゃあ騒ぎ出す。 さっきまで頬けた顔してやがったくせに。
「言ったじゃねぇか、セックスするつもりなんだよ」
「ちょ、言って良い冗談と、悪い冗談の区別も付かんのか!」
「冗談とか冗談じゃないとかどうでもいいだろうが。しようぜ、とにかく」
「貴様、ふざけるのも大概にしろ!!」

腹立つ、こいつ。
あんまり腹が立ったんで一発殴った。

「お前、ちょっと黙れ」

顎を掴んで、ぶつかる様なキスをした。 ヅラはぎゅっと目を閉じ、口を引き結ぶ。 何度か角度を変えてついばんでみても唇は頑なに引き結ばれたままで、 なんとか舌でこじ開けても、歯が邪魔して口内に侵入できない。
唇を離して、ヅラをにらみつけた。
「なぁおい、別にヤらせろって言ってるわけじゃねぇんだぜ?」
焦れて顎を掴む手に力が篭る。

「犯せよ俺を」

ヅラは目を見開いて硬直した。
「なぁ」
しかし、すぐに我に帰ってぶんぶんと首を左右に振った。 口を開いた途端に舌突っ込んでやろうと思ってたのに、その魂胆がばれてるのか、 唇は固く結ばれている。 だからヅラはひたすら首を振るばかりで何が言いたいのかは知れない。 ただ、拒否されているのはわかる。
「なんでだよ、てめぇは突っ込むだけじゃねぇか」

ヅラは口を結んだまま、首を横に振るばかりだった。

つまり、そうか。
そういうことか。
俺はこいつを、体ですら釣れないらしい。

胸の辺りにしこりが出来て、それが揺れて苛々する。

それじゃあ俺はどうすれば良いんだ。
どうしようもないじゃないか。

俺にはこいつを手に入れる方法なんて無いって、そういうことじゃないか。


「もういい」


こいつが行為に応じないなら、この部屋に居る意味も無い。 俺はヅラの上から退いて、この部屋を後にしようと襖を開けた。

「高杉」

振り向くと、起き上がったヅラがなんとも形容しがたい顔で俺を見ている。 居た堪れなくて睨みつけた。
肺が揺れて、苛々する。

「お前は誰にでも、こういうことをするのか・・・?」

言われた意味を噛み砕くのに、数秒かかった。 お前は誰にでも足を開くのかと、そう聞きたいわけだ。
馬鹿じゃないのかこの男は。 誰にでもそんな事を許せるわけが、どうしてあるだろう。
ああ、つまり、そう思いたいって事か。 ただ自分は大勢のうちの一人だって、そう思いたいって、そういうことか。
そんなに嫌いか、俺が。

「だったらなんだってんだよ」

もういい。 手に入らないなら、とことん嫌われてやろう。
誰にでも足を開く? 結構じゃないか。 真面目なこの男が実に毛嫌いしそうだ。
俺は乱暴に襖を閉め、早足で廊下を歩く。誰が良いだろう。 何も言わずに釣られてくれて、余計な事を言わなくて、俺の事好きでもなんでもない奴。
しかもヅラが好いている奴。
下駄を履いて玄関をあけると、外は小雨がぱらついていた。
そうだ、銀時のところへ行こう。 今日は先生が居ないはずだから、きっと淋しがってる。
なんだか急におかしくなって、喉の奥から笑いが漏れた。
それがいい。
そうしよう。

足取りも軽く、俺は雨の中を歩いた。




一方。
取り残された桂は、襖の隙間を呆然と見つめていた。 ついさっき、高杉が乱暴に閉めた襖を、焦点の合わない目で見つめていた。

「なんなんだあいつは」

雨の粒はだんだん大きくなって、雨音が部屋の中にも響いている。

雨はきっと、夜まで止まない。

人の気も知らないで