夜に病む希求
自分で何かを判断して実行する近い未来を思うのはとても憂鬱だ。
失敗が怖いというよりも、失敗すら出来ないかもしれないとゆう不安。
不安に駆られて何も出来ない事が怖い。
失敗の先に待つものが怖い。
情けない。
(少し今、死にたい気分だ)
けれど役立たずのまま死ぬのは、もっと怖かった。
この世は八方塞がりだ。
平穏の中で満たされるような人間だったら良かった。
或いは満たされるような平穏のある世の中だったなら。
俺はもう既に、許せない恨みを持ってしまった。
だから止まれない。止まる事が出来ない。
何より俺は、沢山の人間を巻き込む大きな渦を作っている張本人の一人なのだ。
俺の手の内に何百の命がある。
けれど、嫌な胸騒ぎのようなものが常に体の奥で蠢いている。
それが俺の手元を狂わせるような気がしてならない。
情けない。
拳で床を叩こうとした。
「晋助」
その声に、拳は宙で止まった。
背後に足音が近づく。
ふわり。
肩に羽織がかけられる。夜の闇で羽織の濃紺は黒に見える。けれどこれは間違いなく濃紺だ。
「夜に薄着でうろうろするんじゃない」
見上げた肩にはやっぱり羽織が無かった。
なまっちろい腕が2本伸びてきて、俺の頬や顎や首の辺りをゆっくり撫でた。
その手の温度は思ったよりも高くて、結構な時間この縁側に座っていたのだなぁとようやく気付く。
咎めるような目つきが、何より雄弁だった。
さらさらと長い黒髪がその肩から滑り落ちている。
「体が冷てぇとさ」
俺を見下ろす小奇麗な顔に手を伸ばした。
片方の肩から羽織がすべる。
けれど俺の指先はその皮膚に届かなかった。
「なんか色々麻痺してくるだろ」
俺は手の甲をかざして、あいつの視線を遮った。
手の平は手探りで確かめるように俺の顔を撫でた。
「お前はそれを、心地良く感じねぇか?」
絡みつく不安から、逃れたくはないのか?
あいつの手の中には俺よりももっともっと多くの命が預けられている。
かざされた俺の手は、俺の表情をあいつから遮ると共に、俺からもあいつの表情を見えなくしていた。
でもたぶんきっと、互いにあまり感情の見えない顔をしているだろう。
「俺は・・・」
木の葉を騒がす強い風が、長い髪を大きく揺らした。
羽織は床に落ちてしまった。
「俺が、本当に怖い事は・・・本当は一つだけなんじゃないかと」
ぽつぽつと言葉をつむぐ。
その唇は少し震えていたかもしれないけれど、風に玩ばれる髪が視界の邪魔をした。
あいつの顔が、ゆっくりと俺に近づく。
「思ってしまうことが、たまにあるんだ」
伸ばしていた手の中指に、やわらかく歯が立てられた。
内面への感覚が鈍っている半面で、冷えた指先はとても敏感だった。
あわてて手を引くと、その目は悲しい決意に滲んでいた。
「お前は死なせない」
俺の目蓋は、死に際のように至極自然に下りた。
あいつの唇が俺の唇に重なって、俺の体にさっきの言葉が染み渡っていった。
その決意の深さに、また体の奥からざわざわと不安が音を立てて俺を侵食する。
取り残される未来が、酷く怖い。
俺はもしかしたら、ずっと死にたがっているのかもしれない。
俺の為にこの男の何かが損なわれるような事がある前に死んでしまいたいと、ずっとそう思っているのかもしれない。
この男の何かが欠ける位なら死んだ方がいいと、思っているのかもしれない。
何も成し遂げられず、恩師の仇も討てず、役立たずのまま死んでもいいと、本当は、思っているのかもしれない。
もっともっと夜が更けて、風が吹いて、俺の体を冷せばいいのに。
そうすれば全てを麻痺させてしまえる、きっと。
「お前だけは絶対に死なせない」
涙が滲んだ。
彼らは多分、思春期に戦争をしていたんだと思うんです