花の名前

高杉の居場所が分からない時、仲間たちはそろって桂のところへ来た。

何かを探すとき、人に聞くというのは最も有効な手段の一つである。 人を探すにしてもそれは然り。 そして普通そういうときは、「誰某を見かけなかったか」や「何処に居るか知らないか」という風な尋ね方をするものである。
高杉を探して桂を訪ねて来た者もまずはそう言う。 しかし高杉を探す者と他の者とを探す者との違いは、その問いに桂が否と答えてもなお質問が続けられる事だ。

曰く、では何処に居ると思うかと。


いったい高杉はじっとしていられない性分だった。 閨かと思えば客間、客間かと思えば土間、土間かと思えば庭、庭かと思えば道端と言う風に、高杉はほんの数瞬目を離した隙に桂の視界から姿を消した。 それは二人がまだ故郷の萩に居た頃から変わらない。

彼の母も彼の居場所について明言することは殆ど無く、もし居場所を問うても
「今しがた、あっこにおったんじゃけどねぇ」
と、曖昧に首をかしげるばかりだった。
事実、彼女の言うとおりの場所にいたことは数えるほどしかない。

ずっと幼い頃は、
「部屋にはおりませんでした」
「そいじゃあ、庭を見んさいな」
「庭でも見つかりませんでした」
「じゃったらまたあっこの河原かいねぇ」
と言った具合に、見つかるまで彼女に聞いては探し聞いては探しを繰り返していたが、やがて彼の母親よりも単なる幼馴染である桂の方が彼の居場所についてよく知るようになった。
「ねぇ小太郎ちゃん。ウチの晋助知らん?」
と、逆に彼女から尋ねられるほどに。

そうして未だに、桂よりも高杉に詳しい者はいない。



「なぁ、あのチビ知らね?」
桂は丁度、次に陣を敷く辺りの地理に詳しい者たちと地図を囲んであれやこれやと話し合っていた所だったのだが、 小気味良い音を立てて障子を開いた銀髪は遠慮など無い様子でずかずかと部屋に入ってきた。

「後にしろ天パ。今忙しいんだ」
「俺だって忙しいんだよ。こちとら俺のアイス食いやがった奴にきついお灸すえて、二度としませんごめんなさいって言わせなきゃ気がすまねぇんだ」
「そんな下らん用事で話の邪魔をするな」
「手前ぇヅラの癖に俺のアイスよりそんな地図のが重要だってのか」
「ヅラではない、桂だ」

睨み合いを始めた二人に、肝を冷したのは周りの者たちだ。 主戦力である銀時と桂がこの勢いで喧嘩でも始めようものなら、まず間違いなくこの部屋は無くなる。
「まぁまぁ桂さん。皆疲れてますし、ここいらでちょっと休憩しましょうや」
その場で一番年長である青年がそういったのを皮切りに、皆口々にそうですちょっと休みましょうなどと言いながらそそくさと部屋を後にしていった。 ぱちんと障子が閉じられた後には、銀時と桂とご丁寧にも誰かがくるくると巻いてくれたのだろう筒状の地図が残るばかりだった。

「お前が来るから、皆逃げて行ってしまったではないか」
自分を棚に上げ、桂はやれやれと溜息混じりに言う。 そんな事ぁどうでもいいんだよと、銀時は珍しい程の険しい顔をした。
「それより何処に居んだあのチビは」
釣られる様に桂の表情も険しくなる。

「自分で探せ。どうしてお前らはなんでもかんでも高杉の事を俺に聞くんだ」
「どうせ知ってんだろうが。隠すのは頭だけで十分だっつーの」
「知らんと言ってる」
「検討ぐれぇつくだろうが」
当然のようにそう尋ねる銀時に、桂は再度深々と溜息をついた。

「他の者はなんと言っているんだ?」
「それが誰に聞いても今日は見てないっつーんだよ」
「久坂や入江に聞いてもか?」
「嘘つかれてなけりゃあな」
それを聞き、くっと桂の表情の色が変わった。
眉根は更に寄せられたが、その根源が苛立ちから怪訝になる。
「もう夕刻じゃないか、何処をほっつき歩いてるんだあの馬鹿は」
「それを今テメェに聞いてんですけど?」
今度は銀時が溜息をつき「まぁいいや、見つけたら教えろ」と言って桂に背を向け襖を開けた。
なんだか自然な流れで高杉を探す役目を押し付けられていないだろうかとも思ったが、 結局気になって探しに言ってしまう自分を自覚していたので、桂は何も言わず立ち上がった。

「ああそうだ銀時」
障子を閉めながら、廊下を歩く後姿に声をかける。

「高杉は冷たい物を食うと腹を下すんだ」
「いらねぇよそんなトリビア」
「だから銀時、真犯人はおそらく高杉に罪をなすりつけた奴だということだ」
銀時は数秒記憶をたどるような表情をしていたが、すぐにあんの毛玉ァァァァ!!!と叫びながら騒々しく廊下を駆けていった。




銀時の言うようにもしかしたらとも思ったのだが、久坂も入江も本当に今日は高杉を見ていないと言った。
「どっかで倒れちょらんとええんですけどね」
ポロリと漏らされた一言は、桂を急かせるに十分だった。

おそらく外に出かけているのは確実だろう。 友人にすら何も言わず、彼がふらりと一人で行くような場所とは。
(女のところへなら、夜に行くはずだしな・・・)
桂は思案しながら近所を走り回った。 立派な柿の木のある家、彼岸花が咲きならぶ路、薄の茂る野原。
埒が明かない、と桂は本日何度目か解からない溜息をつく。 溜息ばっかついてっと禿げんぞ。という誰かさんの揶揄するような声が聞こえてきそうだった。
「誰の所為だと思ってるんだ、全く」
と、小さく呟いた時、かすかに甘い匂いがした。 辺りをよく見てみれば少し先に廃寺であろう寺があって、垣根の向こうから橙の小さな花をつけた木が覗いていた。 すぐさま、桂の足はそこへ向かった。

秋になると、高杉はよく頭にその小さな花をつけて帰ってきていた。 払ってやろうと近づけば、甘い匂いが花を掠める。 そのたびに桂は自分自身が不思議だった。



「なにをやっているんだ、こんな所で」

切らした息を整えながらそう言うと、根元に座り込んでぼんやりとその木を見上げていた高杉は緩慢な動作で振り向いた。 邪魔をするなと不機嫌な様子で言われるのだろうと桂は思っていたのだが、高杉の目は楽しげに歪められていた。
「こっち来いよ。いい香りだ」
よほど機嫌がいいのだろう。手招きをしながらころころと笑う高杉に逆らうのも難で、桂は素直にその傍らに立つ。

「いつからここにいたんだ?」
「さぁな」
おそらく随分と長い事なのだろう。 頬の表面がかさ付いて、中の血の色が浮かび上がっている。 きっと彼からはこの花のような甘い甘い匂いが漂うに違いないと桂は思った。 それはなんだかとても良い事の様で、同時に酷く悪い事の様でもあった。
「もう堪能しただろう。帰るぞ。じき日が沈む」
「お前一人で帰れよ」
「何のために俺がここまで来たと思ぉちょる」
無意識に地言葉が口からすべり出ていた事に桂は気付いていない様子だった。
高杉はきょとんとして、その一瞬後にはさもおかしそうに声を立てて笑いだした。 今度は桂のほうが、不思議そうに高杉を見下ろす。

くつくつと腹を震わせながら、高杉の体はごろりと地面に寝転がった。
汚れるからやめろだとか何を考えているんだとかの小言は、 曝け出された首筋を寒そうだと思ってしまった事によって口にするのが遅れた。 そしてようやく桂がその事を言おうとしたら、「なぁヅラァ」という高杉の声によってはばまれてしまった。
「ヅラじゃない、桂だ」
苦い表情で桂は言う。 くつくつくつくつと、高杉は尚も笑う。
「どっかの国じゃよ、木犀の事をケイって呼ぶらしいぜ」
これはタンケイっつーんだってよ。おかしそうに高杉は言う。
「それが一体どうしたんだ?」
少女めいた笑いを漏らしながら気だるげに桂を見上げる高杉の目が艶っぽく細められ、その視線は緩やかに桂を刺した。

「テメェの字だぜ」
そのケイっつーのはよ。ごろりと体を横に向け体を折るようにして、心底おかしそうに高杉は笑った。 首筋や手首や足首といったごく細くごく白い極所が目に痛い。
高杉は此方など見ていやしないのだけれど、桂は必死に己の表情を崩さないように努めていた。

己はきっと知らなくていいことを知ってしまったのだと、絶望に似た気持ちで桂は高杉を見つめた。
方言に萌えたときに書いたもの