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これは史実をベースにした妄想です
銀たまの世界と史実がごっちゃになっています
しかも晋助没後ですので、ご注意をば
東京は彼を変えない
ようやく獄中生活が終わったと思ったら、世の中が一変していた。
新政府の中心人物であるかつての同士の元を訪ねると、大きな建物の中にある小奇麗な部屋に通された。
最後に会ったのは幕府軍との戦争の最中、古い茶屋の奥にある個室でだった。
ところどころ畳が擦り切れているような、お世辞にも綺麗とは言いがたい部屋だ。
目の前の男の装いも、当然というべきか、ガラリと変わっていた。
こんな宇宙からの調度品ばかりの部屋で以前と同じ出で立ちなぞ、不協和もいいところだ。
真っ直ぐの長い黒髪と、渋い色の着物の裾をなびかせていたあの頃の出で立ちは、江戸の町にこそ似合うのだ。
ここはもはや、東京だ。
この変貌には、精神どころか脳そのものすら戸惑っている。
気持ちが付いていかないだけではない。
劇的過ぎて、認識することに支障が出ている。
これが十年や二十年の歳月を経て起こったことならばまだ合点がいく。
けれど、自分が浮世を離れ牢に入っていたのは、たった一年ぽっちなのだ。これが時の流れというものなら、随分と残酷だ。
「ご健勝でなにより」
男に促されて腰掛けたソファは、とても柔らかかった。
「ああ、一年か」
「もっと長い間、閉じ込められていたような気分でござるよ」
精巧な細工を凝らした机をはさんで向かい合う男は、あの頃とは違う人間のようだった。
今ここで自分と向かい合っているのは、あの男によく似た違う男なのではないかという疑念すら浮かぶ。
しかし、革張りのソファに身を沈めることなくぴんと伸ばされた背筋が、この男とあの男が同一人物なのだという事を物語っていた。
「江戸も随分様変わりし申したな。いや、今は東京というのか」
「貴様は変わらんな。あの頃のままだ」
「・・・貴殿は随分と変わった」
自分が獄中にいる間に、様々なものが壊れ、様々なものが出来た。
様々な者が死んだ。
自分が獄中にいた一年は、あまりにも目まぐるしく物事が流れ動く一年だった。
逆に言えば、物事が目まぐるしく動いた事によって、こんなに早く自分は娑婆に帰ってこられた。
幕府が倒れたからこそ、新政府とのパイプ役をさせようと勤王派の志士達を出獄させたのだから。
幕府が倒れた事自体に戸惑いは無い。
牢にいる間にこんなにあっさりと国家の体制が変わるとは思わなかったが、遅かれ早かれ弱りきった徳川が倒れる事は目に見えていた。
自分を混乱させているのは、社会や体制の変化ではなかった。
人の思想の変化だ。
「人の主義主張というのは、こうもあっさり覆えるものなのか」
これから言われる事を察したのだろう。
男の表情がすっと冷たいものに変わった。
「貴殿は、攘夷派の筆頭だった者でござろう。それがどうして今、開国を推し進めている」
外交役として各地を回り、愕然とした。
今や天人は宮廷にさえ出入りし、この国の政治を掌握しているではないか。
江戸時代よりもずっと、酷い有様だった。
「この国はまだ弱い。今は耐え、文明を吸収し、富国強兵に努める時期なのだ」
「天人にへりくだってでも、でござるか」
挑発的な言葉にも、男は眉一つ動かさない。
瞳の奥底が冷たく、凪いでしまっていた。
考えてみれば、こんな風にこの男を批判するのは自分がはじめてであるはずがない。
今の政府の方針に疑問を持つ者は、かつての同士にならなおさら大勢居るに決まっている。
酷い罵声だって、何度も浴びているのだろう。
そのために、心が頑なになってしまっている
何を言われても心を動かされないようにと、強情を張っている風だった。
変なところで意固地なんだ、あいつは。
楽しそうにカラカラと笑うあの声。
「この国は幼く弱い。国を富ませ、強くする為には外交も必要でござる。拙者は何も、鎖国をしろと言っているのではない。
拙者が言いたいのは、戦わずして言われるがままに国を開き、属国のような扱いを受け、それに甘んじているのはどういうわけなのか、ということでござる」
「今戦えば、民が無駄に死ぬだけだ」
「然し戦わなければ、民はこの国に誇りを抱けなくなる」
男は少し顔色を変えた。
誇りという言葉には思うところがあるのだろう。
天人達に尾を振る幕府に奮起し、新しい世の中を作ろうとしたのはこの男たちだ。
この国を天人達の好きにはさせないと、そう言っていたのはこの男たちなのだ。
「誇りを無くし、なにが富国強兵だ」
強い口調で畳み掛け、じっと目を見つめる。
そこには多少なりとも動揺の色があった。
「・・・誇りで、民は殺せない」
慎重に、言葉を選んで男は言った。
声には堪えるような響きがあり、顔に浮かぶのは諦観だった。
「誇りが無いのなら、生きていても死んでいるのと同じでござろう」
「それは極論だ」
「しかし、そういう男たちが、この世を作った」
「しかし、ほとんど死んだ」
もともとこの男は無理を通す側ではなく、仕方ないなと折れてやる側だ。
諦めるような表情は見慣れている。
「死んだからこそ、叶えてやろうとは思わないのか」
「また人が死ぬだけだ」
「ほおっておいても人は死ぬ」
けれど今の顔に浮かぶのは、今まで見てきた諦めとは種類の違う諦めが作り出した表情だった。
この目が見慣れているのは、仕方ないなと諦めるような顔で誰かの無茶を許してやるような、そういう顔だ。
あの人の無茶を許してやるときの、そういう顔だ。
「戦をせずとも人は死ぬ。人は皆、いつかは死ぬのでござる。現に晋助は病気で死んだ」
どろり、と。
男の目の奥が蠢いた。
その流動は し ん す け という音の並びに呼応していた。
「どうして、戦う前から負けを恐れ、戦わずして国を開くのか。
晋助なら、」
戦ったはずだ、という言葉は、男が拳で机を叩く音に遮られて止まった。
ドンともガンともつかない鈍い音を奏でた綺麗な手は、ガラス板の上で震えている。
俯いて背中を丸めるその姿は、とても小さく、頼りなく見えた。
目を凝らせば、袖から覗く手首が驚くほど細くなっていた。
様々な変化に気を取られて見落としていたが、この男は一年前とは比べ物にならないほどやつれていた。
「あいつなら戦った。けれどあいつは死んだ。俺なら戦わない。それだけだ・・・」
低く、胸のうちを押さえつけるような声だった。
けれど、小刻みに震える右手のカフスボタンと、机のガラス板とがカチカチとぶつかり合っていて、その振動は男の感情の音だった。
「もう、帰ってくれ・・・」
冷え切っていたこの男の皮膚の下の液体が、今は人間の温度になったのだな、と思った。
なんだかそれは、とても悲しくて切ないことのようだった。
「あいつの話なんて、聞きたくない」
これが時の流れというものなら、随分と残酷だ。
こんなところばかり、あの頃のままで。
万斉のモデルになった人を調べるうちに書きたくなったお話