ペルファヴォーレ・サン・ニコラオ
「ぼーすー」
執務室の扉から頭だけ出して中を窺う。内心少しだけ緊張しながら。
寝不足で疲れてるか、不機嫌に机に向かってるか、苛々しているか・・・どれだろう。
なんにしたって迷惑な話だよねー全く。とか思いながら少しだけハラハラしながらボスに話しかけたのに。
なのになのに、なんで?
「なんだ?」
顔を上げたボスの顔はものっすごくいつもどおり。それどころか、いつもより穏やかなんじゃね?ってくらい。
なにそれ、全然意味わかんない!
レヴィあたりは「苛々の原因が取り除かれたからだ!」なんて本気で嬉々としそうなくらい。馬っ鹿じゃねぇの! だから一生童貞なんだよ。
「おい、ベル?」
いやいや、どうでもいいよレヴィは。ボスが怪訝そうな顔で俺を見ている。
「えっと、暇だからさ、お茶の相手でもしてよって言いに来た」
ボスはちらりと壁掛け時計に目をやって、驚いたように「こんな時間か」と、小さく呟いた。
部屋の奥のソファに招かれ、ボスは内線で(多分給仕室に)エスプレッソ二つとパニーニを持ってくるように言った。
「二人・・・そう、ベルだ」とまで言ってたから、お相手は古株のクラウディアあたりかな。ちょっとオバサンだけど綺麗で気が効くんだよね。もしかしたら俺用にパネトーネを持ってきてくれるかもしれない。
なんてったってお茶の時間だからね。そんな時間に軽食を頼むボスのほうが珍しいよ。大食いでもないのに。
「・・・ボスもしかしてお昼まだだった?」
一人掛けのソファに身を沈めて目頭を押さえていたボスはそのままの姿勢で
「ああ、忘れていた」
と、こともなげに言った。
忘れていた? 有能だけど決して仕事熱心じゃないボスが? 自己管理だけはしっかりしてるボスが?
よかった、と俺は少し安堵した。よかった、ボスはちゃんと普通じゃないみたい。
そもそも任務帰りの俺に報告の催促をしない次点でちょっと頭働いてないよね。よかったよかった。
普通じゃなくって安心するなんて、普通はおかしいんだけど、でも今は普通じゃないから仕方ないんだ。
普通じゃないときに普通にしてるってのは、普通な事じゃないんだよ。それは異常だ。
だからボスが普通じゃなくって安心した。
だって今は普通じゃないんだ。とっても普通じゃない。一大事だよ、特にボスにとっては。
だって、スクアーロが消えたんだ。
それがわかったのは、スクアーロが任務に出かけた五日後。
どっかの要人を二人、ボディーガードごと殺すだけの簡単な仕事。
それをしくじって死んだ、とかでは勿論無い。死体は見つかってないし、現場にスクアーロの血痕も無かった。
第一、現地から任務完了の報告はあった。ただ、「何時の便で戻られますか」と言う問いに、はっきりとした答えは無かったらしい。思えばそのときから少し様子がおかしかったと、スクアーロからの電話を受けたマテオ(おっさんの方)が言っていた。お前そんなにスクアーロと接点無いじゃん。
そして三日後、帰ってこないどころか報告以降スクアーロから何の音沙汰もないことをいぶかしんだ事務方がローマでのスクアーロの足取りを調べた。
結果は至極簡素。「lui e disperso.」
見出しの位置に太字の斜体でそう書かれた書類をボスの部屋に運んだのは俺。
諜報部の人間が行ったらこの役立たずとかなんとか怒鳴られるんじゃないかと思って。
そんなみっともないうちのボスの姿、晒したくないじゃん? だから俺が買って出てあげたわけ。俺って優しい。
俺になら怒鳴んないだろうって確信もあったしね。
俺の思ったとおり、ボスは俺を怒鳴らなかったよ。まぁ代わりに書類を床に叩きつけたけどね。俺が来て大正解。
見出しを読んで、その意味を噛み砕くまでに随分かかったんだろう、少しの間は書類を見つめていた。
『lui e disperso.』というたった一文噛み砕くのに、何十秒も。
『彼は行方不明です』という文字列の意味するところが脳に届いた頃、ボスは破れるんじゃないかってくらい勢い良く書類を叩きつけなさった。
そのとき俺は、書類の端っこをホチキスで留めておいた誰かさんにとっても感謝したよ。
だって、叩きつけるときは良いよ? 何枚もの書類が宙を舞って床に散らばって、さぞボスは爽快だろうさ。
けど、その後は? 散らばった書類を誰が片付けるの?
下働きの奴?(ボスがスクアーロのことで取り乱したのバレバレじゃんみっともない)
俺?(嫌だよ面倒臭い)
それともボス?(うわぉ!なんて淋しい光景!!)
だから、書類がひとまとめにしてあってよかったって思いながらそれを拾って、執務用のデスクじゃなくってローテーブルの上に置いた。俺、ほんと優しい。
「それじゃあね、ボス。俺明日からフィレンツェだから。元気にしててね」つって、黙ってつっ立ってるボスの横を通り過ぎて部屋を出た。
だって次の日、朝早かったんだもん。
でも、流石にちょっとボスが心配だったからさ、結構急いで帰ってきた。
だってボスってば任務でスクアーロがどっか行ってるだけであからさまに苛々すんだもん。
いつ戻るかわかんないとなると、そりゃもう凄い荒れっぷりなんじゃねぇの? って。
実際はもっと気味悪い状態だけどね。百聞は一見になんとか。ピリピリされてたほうがまだマシ。
だってこれじゃあまるで、奥さん亡くした旦那だよ。わお! びっくりする位ぴったりじゃん! 気っ色悪ぃ。あの時とリアクション違い過ぎ。
あの時は、こんなじゃなかったじゃん。
みんなが鮫に食われたもんだとばっかり思ってる中で、ボスだけはあいつは殺しても死なねぇよ、なんて自信満々に言っちゃってさ。いやいや、殺したら死ぬって普通。つーか死んでるし既に。頭大丈夫なのかなウチのボス。自分だってちょっと不安そうな顔してるの気付いてないのかな。
なんて思ってたけど。
本当に、ほんとのほんとに、スクアーロは生きてた。
生きて、ボスのピンチに駆けつけた。あれじゃあまるでヒーローだ。暗殺部隊が聞いて呆れる。
でも、そうか・・・。スクアーロはずっと、ボスのヒーローだったかもしれない。ボスとスクアーロがどんな風に過ごしてきたのか、俺はほんの一部しか知らないけど。ピンチのボスを助けるのは、スクアーロしか居なかったんじゃないかなって思う。
パニーニをほおばるボスの顔には、やっぱり隈とかあるわけで。
「ボスお疲れだね」
その癖、俺の言葉に苦笑して見せたりしてね。かっこ悪い。
「ナターレまでに仕事を済ませようと躍起な連中が多すぎるからな」
「マフィアにも祝日があるなんてねー」
俺、知ってるんだよ。そんなのボスには大して関係ないことくらい。ボスが自分から、無理に仕事詰め込んでる事くらい。
でも俺はボスに話を合わせてあげる。だって俺、優しいもん。
「裏社会の人間の方が信心深いもんだ」
この国では神様が当たり前に在り過ぎるけど。
でもスクアーロが帰ってきますようにって、ボスは一度でも祈ったっていうの? まさかね。
「ボスは神様信じんの?」
「さぁな。ヨハネ・パウロ二世は良い奴だったと思うが」
じゃあボスはそいつに祈った? 祈ればあいつは帰ってくんの?
・・・なんて、そんな事は聞かないであげるけどね。
俺って大人。大人に、なっちゃったなぁ。
あと一年くらい、子供として扱ってもらえないかな。そんなおとぎ話、独りぼっちになった後で知ったんだけど。一生に一度くらい、お願い聞いてもらってもいいと思うんだ。
「それみんな言うよね。ロベルト・バッジョがどんだけ凄かったかくらいピンと来ないんだけど」
「おい、ロビーはイタリアの至宝だぞ」
もぐもぐしながら大真面目な顔をするボスがおかしくって、フォークの先をボスに向けて笑っちゃった。お行儀悪いね、俺。ほら、子供でしょ。
枕元に大きな靴下と、ミルクとパネトーネをおいといてあげようかな。
朝起きてそこにスクアーロが入っていたら、信じちゃってもいいよ貴方を。
ねぇ神様。
サン・ニコラオ=サンタクロース
イタリアでは魔女が1月6日にプレゼントをくれるらしいけど
靴下に入ってる鮫さんを想像したらかわいかったので
ちなみに鮫生存がわかる前に先走って書いたもの
ちゃんともどってきてくれてよかった