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夜の猫は全て灰色に見える
制裁は派手に、暗殺は清楚に。
ヴァリアーに入ってすぐの頃、誰かに言われた言葉だ。
今日の仕事は清楚にこなした。
特に今日は一滴の血も浴びていない。
それでも、帰ったらすぐにバスルームに直行しよう、と移動用のバンに乗り込みながら心に決めた。
なんとなく埃っぽいし、俯いたり横を向いたりしたとき微かに血の匂いがする。
(髪の毛に匂い付いたかなぁ・・・)
体が汚れていたり怪我をしたりするのより、髪が清潔で健康じゃないのの方がよっぽどショックだ。
昔はあんなに無頓着だったのに。
「ご自宅に戻られますか?」
突然の声に顔を上げれば、バックミラー越しに運転手と目が合った。
俺より二十以上も年上だろう男は、萎縮しきったような表情で目をそらした。
「お疲れのご様子だったので・・・差し出がましい事を申しました」
「いや・・・」
そんなに疲れた顔をしているのだろうか。
思えば昨日もあまり寝ていない。
「あとどのくらいでアジトだ?」
「夜は混みますから・・・四十分少々かと」
「寝る。着いたら起こせ」
無言は了承の証拠だろう。
俺は目を閉じて体をシートに深く沈めた。
家に帰るわけには行かない。仕事が終わったら部屋に来いと、あの男に言われている。
あの男のセックスは乱暴だ。(少なくとも俺に対しては)
そもそもの態度があんなんなんだから、同衾の時だけ扱いが丁寧になるはずもなく、
どころかセックスのときの方が余計に殴られている気がする。
抵抗すると特に酷い。
こっちが疲れてようが眠かろうがお構いなしで、曰く、手前ぇの都合なんざ知らねぇんだよ。
だからもう最近はひたすら時が過ぎるのを待つんだけれど、そうやってマグロになられるのも気に入らないらしく、
やっぱり殴られたり蹴られたりはするし、自分で動けとか一人でやってみろなんて言われて、どのみち苦痛にかわりはない。
(つーか最近やたらその手の要求が多い気がする)(欲求不満かぁ?)
なんでこんな事に、と思うこともある。
しかし結局は、こんなサディストについて行こうと決めてしまった俺が悪いのだ。
あの頃からあいつはそれなりに人でなしで人を人とも思わない様なところがあったじゃないか。
そりゃあ今と比べりゃ可愛いもんだけれど。
アジトにも俺専用の部屋はある。ご丁寧にシャワーつきの。
俺はそこで髪の毛と体を洗い、スウェットとジーパンに着替えてからボスの部屋に向かった。
仕事が終わったら部屋に来いってのは、仕事が終わったらその足ですぐさま部屋に直行しろって意味だ。
けれど、従順だろうが反抗的だろうが殴られることに変わりは無いのだ。
だったら自分に正直に生きるに限る。
きっと余分に殴られるだろうが、今日はもう髪の毛が埃っぽくってその上血の匂いまですることに耐えられなかったのだから仕方ない。
きっと痛いだろうなぁ・・・。
ノックを二回。
「おい、俺だぁ」
いつもならこの後、近づいてくる足音が聞こえる。けれど今日、部屋の中から聞こえてきたのは
「開いてる。勝手に入れ」という億劫そうな声だった。
ドアノブを回すと本当に鍵は掛かっていなくて、俺は眉をひそめた。
なんだかんだで育ちがよくて、そのうえガキの頃から何度も標的にされてる所為で用心深いこいつらしくない行動だ。
鍵をしっかり閉めてから部屋の奥へと進む。
「随分無用心じゃねぇか」
「・・・うるせぇよ」
心なしか声に覇気がない。
ボスは部屋の隅のソファに気だるげに座っていた。
伏せている目の上の眉の根元は、くっと真ん中に皺を寄せている。
もしかして具合でも悪いのだろうかと、身をかがめてこいつの顔を覗き込む。
「おい、大丈夫かぁ」
すっと目蓋が持ち上がり、眼球が動いて、こいつの目が俺を捕らえる。
こいつと目が合ったとき、俺はいつも俺の周りでだけ重力が増した気分になる。
ボスの手が伸びて俺の髪を引っぱった。
今日はどのくらい殴られるんだろうか。
そう思いながら引かれるままに顔を近づける。
あいつの眉間の皺が更に深くなって、右手が持ち上げられた。
俺は奥歯をぎゅっとかみ締めた、のだが。
「え・・・」
こともあろうにその手は、俺の頬を殴るのではなく、ゆるりと撫でた。
まるでそうしなければ壊れてしまうもののように、いたわるような手つきで。
こんな風に触れられた事が今までにあっただろうかってくらい優しく。
「ボス・・・?」
やっぱりどっか調子が・・・と言う前に、唇がふさがれた。
「ちょ、・・おい」
触れるだけのそれから徐々に深く、なんだこの真っ当な前戯じみたキスは。
いつもの噛み付くようなキスとは全然違う、人間同士みたいなキスは。
いつの間にかソファにもたれかかっているのは俺のほうで、ボスは俺のスウェットとたくし上げてへその辺りやわき腹にキスを降らせていた。
あろうことか床に膝を付いて。
上等なのが一目でわかるようなスラックスのまんまで。
「・・・っ」
胸の突起を舌で押しつぶされて、思わず肩が揺れる。
どうしたって情けない声しか出そうに無くて、右手で口元を押さえつけた。
なんだ。一体なんなんだこれは。
夢にしたって悪趣味だ。イカレてる。
こんな願望、抱くはずない。
そもそもこれは夢じゃなく現実だ。
ああ、もっとイカレてやがる。
ぐいっと右手を引っ張られて、みっともない俺の顔が赤い眼に晒される。
「声出せ」
いつもならここで飛ぶのは罵倒だし、顔に浮かぶのは嘲笑だ。
「どう、しちまったんだよ、ボス。アンタ、変だ」
こんな女にするみたいなセックスを俺にするだなんて。
きっと仕事のし過ぎでおかしくなったに違いない。
こんな優しい愛撫、男で部下で腐れ縁の俺にするようなことじゃない。
「ボスじゃない」
唾液で薄く塗れた口元が、俺に近づいてくる。
「名前で呼べ」
そう言ってあいつは俺にキスをした。
なんなんだ。これじゃあまるで恋人扱いじゃないか。
ぽろり、と。
瞬きと一緒に、目から一粒、雫が垂れた。
それが涙なんだって認識するに、何秒もかかってしまった。
鈍感で馬鹿な俺はようやく気付いたのだ。
俺が誰かの身代わりにされてるんだってことに。
こんな風に抱きたい女が居て、そいつの代わりに俺を抱こうとしてるんだってことに。
「おい・・・」
あいつは困惑したような顔をしていて、これを引っ込めなきゃと思うんだけど、なかなか上手くいかない。
奥から奥から水分はせりあがってきて、俺の頬をびちゃびちゃにした。
「泣くな」
あいつの唇が目元に降って来て、胸の奥がギシギシいった。
やめてくれ。そんな風にされると、余計に涙が止まらない。
「そんなに嫌なら、拒め」
違う。違うんだ、そうじゃない。
俺はぶんぶんと首を左右に振った。
「だったらなんだって・・・」
「頼む、っから」
あいつの言葉を遮って、俺はしゃくりあげる喉で必死に言葉をつむいだ。
理由を問われて余計な事を言ってしまう前に。
「おねが、だっ、から」
涙はとどまるところを知らずに、ぼろぼろぼろぼろ零れ落ちる。
もう目の前の男がどんな表情なのかさえおぼろげだ。
「優しく、しないっ、で、くれ・・・」
今更気付くなんて馬鹿みたいだ。
情けなくてみっともなくて居た堪れなくて、俺は両手で顔を覆った。
なんのことはない。
俺はこいつのことが好きなんだっていう、それだけのこと。
Di notte tutti i gatti sono grigi.(夜はどの猫も灰色)というイタリアの諺より。
適切な時を選べという意味で使われるそうです