意と憂鬱

殺してやる。
なんて、売り言葉に買い言葉の、一種挨拶みたいなモンで、 何べんも言ったし何べんも言われたし、冗談交じりのときもあれば、半ば本気だった事もある。
そこのハサミで腹かっ裂いてやろうかと思うくらい、憎くて悔しくてならないときもあった。 けれどその時の殺したいっつーのは、あくまでも気持ちを表す言葉がそれしか見当たらないって、そういうことだったんだなって今は思う。
殺してやりたいってのと、殺してもいいやってのは、全然違う感情だった。
現に俺は、昔も今も、自分が社長を殺す姿なんてこれっぽっちも想像できやしない。
そもそも俺の頭であの人の寝首がかけるはずもない。 俺には隙を見せたりもしてくれてたけど、でもやっぱりそういう時って、本気の殺意が浮かんだりとかってやっぱない。
社長も社長で、散々、ぶっ殺すぞクソ餓鬼なんて言いながら、俺を殺すようなそぶりを見せた事は一度もない。 そりゃそうだ。社長が俺を本気で殺そうと思えば、そんなのいくらでも出来る。 なんで?って思いながら、俺は死んでいくだけだ。
大体本気で殺してやるって言ってんなら、あんな風に口元緩めて言うわけ無ぇよあの人が。 あんな穏やかな顔。
つまり、つまりだ。 俺も社長も互いを殺す気なんてなかった。これっぽっちも無かった。
実際、俺は社長を殺していないし、社長も俺を殺さなかった。
俺はもう社長を殺せないし、社長ももう俺を殺せなくなった。
こいつが誰かに殺されるくらいなら、とか、そんなガラにもなく女々しい事を考えた夜もあった。 社長が命を狙われる場面に遭遇した事だってある。 そういう夜には、そんなこと思ったりもした。 こいつが誰かに刺されて息も絶え絶えで、ああもう死ぬなって時には、こいつの舌でも噛み切ってやろうって、 さいごのキスとかだよそれってなんて、そんな女々しい事を思った夜もあった。
確かのその夜は本気でそう思ってたのに。 実際起きてみねぇと、なんでも、わかんねぇもんだ。
俺は、実際にあの首を見た瞬間、ああもう駄目なんだなって思って、綺麗なところに埋めてやんなきゃなって、毎年行ける所にって、凄く冷静だった。 色々汚い仕事させられてたし、俺の所為で泥被らせた事もあるし、墓地とかそういう所には埋めてやれないけど、せめて眠るところは綺麗な場所にって。 今すぐは無理でも、いつか掘り返して、絶対あいつが好きな花の咲くところでって。
あいつのおかげで改善された俺の悪癖って結構あるから、どんどんまた出会う前みたいに逆戻りすんのかなぁとか。 それとも前よりましになった俺の箸の持ち方とか、社長が俺に教え込んだそういう瑣末な生活の上での事は、 一生俺に身に付いたままで、一生俺を構成する一部であり続けんのかなぁとか。
妙に冴えた頭で一気に色々なものが駆け巡って、いらん事まで思い出して、ああクソって思った直後に、 でももう死んじまったなって、胸の辺りが押しつぶされて沈んだ。

胸倉掴んでも、睨む顔がもうそこについていない。
最後の一文に着地したいがために書いた話