物思う暮れ

叶絵に急な用事が入って、買い物の予定が潰れてしまった。 必要なものを買うための買い物なら一人でも続けたけど、2人で適当にぶらぶらする予定だったからホントに手持ち無沙汰になっちゃって、 とりあえず角煮饅頭を四箱買って、勿論自分用に、そして呼び出されてもいないのに事務所に行った。
なんでだろう。 来いって言われて行く時はあんなに嫌々なのに。 何でか足がそっちに向かっていた。
ネウロはあちこちの目で本を読むのに急がしそうで、あかねちゃんは色々な書類をパソコンに写してるんだかなんなんだか、 とにかく書類とパソコンを行ったり来たり忙しそうにしていた。
私は私で机に宿題を広げ、数学と格闘・・・しようとは思うんだけど。 悲しいかな、広げてるだけであんまり進まない。
ページをめくる音だとか、キーボードを叩く音だとか、私のシャーペンの音だとか。 それは紛れも無く生き物が奏でる音で、人間に数えられるのは私だけなんだけど、でもそれはやっぱり、人のいる音だった。
毎日が慌ただしすぎて自分をかえりみる余裕なんて無かったけど、もしかしたら淋しいなんて思ってたのかな。 同じ空間にある生きた他人の気配が心地いい、なんて。 そんなこと考えたことあったかな。
パタン、と本の閉じる音がして、ぼーっとしていたのに気付いた。 右手からコロンとシャーペンが滑り落ちた。
本を閉じたネウロは全然こっちの方なんか見てやしなくて、 どこかをぼおっと眺めている風だった。 大体そう、ふと見たときにこいつが私を見てることなんてない。 だからそういう時は、ちょっとこの生き物を観察してやったりする。
「ああ・・・」
ネウロは普段はあまり見ない珍しい表情を浮かべていた。
「この世界は脆いな」
彼の目は相変わらずここっちを見てないし、こちらに問いかけるような口ぶりでもなかったので多分独り言なのだろう。
「魔界とは全然違う。脆くて清らかで儚いが、謎は尽きない」
ネウロの顔にはなんの表情も浮かんでいなかった。 私を馬鹿にしきったようなあの顔も、嘘をつくときのあの顔も。
「人間は、脆く弱く愚かだ」
眉一つ動く事は無く、言葉と呼応して口が動いているだけだ。 もしかしたら、口と音とがずれているかもしれない。口パクの歌手みたいに。 そう思うとちょっとおかしい。 けど、ありえなくは無い。 こいつの姿かたちは光の屈折を調整だかなんだかして見せられた虚像で、つまりよく出来た仮面なのだ。
「然し人は、謎を作り出す事をやめない」
彼の豊かな表情も、彼が操る見せ掛けにすぎない。 だってそうだ。 あんな鳥に、表情なんて無い。
「人の悪意は尽きない」
だったらこの、無としか言うことのできないようなこの表情こそが彼の素顔に最も近い仮面かもしれない。
これがまさに、この魔人の、最も真実に近い顔。
・・・なんてね。どうでもいいけど、そんなこと。
「ヤコよ」
私が観察に飽きた途端、ネウロは私の名前を呼んだ。 ちょっと今、かなりネウロに向かってどうでも良さそうな顔してそうだ私。 けれどまぁ、そんなの当然この魔人は気にしない。 だって魔人だもの。
「人とは不思議だな」
ぐるりとこちらを向いた顔には、いつもの奇妙な笑みが浮かんでいた。 目をぎゅるっと見開いた、あの笑み。 かりそめの表情。 だって魔人に、人間と同じような感情が沸いたりするの?  嬉しい、楽しい、大好き。え、ドリカム?  まぁ、そういう感情が、沸いたりするの? この魔人に? そんなの、想像できない。
私の気持ちは、不思議だという言葉で形容できるんだろうか。 ああでも、確かに彼は不思議すぎるくらい不思議だ。
擦れ違いの平行線。 私が彼を見つめるとき、彼は私を見ていやしない。 彼が私を呼ぶとき、私はもう彼への興味は消えている。
それが不思議さの所以で、だからそれは謎ではないんだろうな、きっと。
そうだといい。
決して彼の飢えを満たさない、そういうものだといい。
謎なんかじゃ、無いよ。
角煮饅頭は九州物産展で必ず買う(私が)